昭和40年07月21日 夜の御理解



 まず、わが身におかげを受けて、そして後人を助けてやれと。教祖様は仰ってある。先ずわが身におかげを受けて、そして後人を助けてやれと仰るのは、どう言う様な事か、だろうか思うんですね。私達の心の中には美味しいものがあったら、自分が先ず食べてまず自分が楽をして、そしてそれが余ったら人にあげよう。自分が楽をしておいてその楽を自分よりも、その人を先に楽になってもらおうとか、自分より先ず人に美味しいものを食べてもらおうとかと言う様なのが、私は信心だと思うんですけど。
 実際私共の心の中にはね、深い煎じる心のなかを煎じ詰めてみると、美味しいものがあれば、先ず自分が(笑い)美味しいものを頂きたい。そして後に余ったら人にやる。と言った様ないうなら、浅ましい心があるんですねえ。先ずわが身におかげを受けてというのは、先ず自分が美味しいものを先に食べておいて、余ったら人にやる、と言う様なものではないと思うですね。まずわが身におかげを受けてと。
 私共が、信心させて頂きよると、段々その、神心という神心が、段々強うなってくる。それは結局いつも、自分という者をまあ空しゅうして、そして、人でも助かって行く事だけを願うと、言う様な心でしょう。そう言う様な心が、果してお互いの心の中に、育っていっておるだろうか。きょう夕刊に心という、あれはなんていうか、一週間に一遍ぐらい出ておりますですねえ。あの中にある人が書いてありました。良心というても良い。良識というても良い。
 そう言う様な良識とか、良心といわれるそういう心の中に、最近では、こいう心が欠けておるんではなかろうかというて、一茶の句を引いてあった。「やれうつな、蝿が手をする足をする」という句。「やれうつな、ハイが手をする足をする」そのままが私、神心だと思うんです。そういうような心がです、良識のなかに、良心の中に、段々この頃、そういう心が欠けていきよるのじゃなかろうかと。
 信心させて頂きよるものはです、蝿一匹の上にでも、そう言う様な心が段々強うなっていくと言う様な心。そう言う様な心を持って、私は先ず我が身におかげを受けてというのは、そういう心だと思う事だと思う。そういう心が自分の心の中に頂ける様にならしてもろうて、そして後人を助けてやれと、そういう心が出来て来る様にならなければとても、人を動かすような、人が助かる様な事にはなって来ないと思うですね。
   おかげ頂きました。